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インタビュー
県美と新県美 vol.03【後編】
2026.09.09
2026.09.09
県美の「これまで」を知り「これから」を描き出す。私たちが未来の新県美に継承すべき価値あるものを、様々な方とのお話から探り出していく連載「県美と新県美」。第3回目は、福岡県立美術館の「学び」と「教育」にかかわる実践を続ける4名にお話を伺いました。
[参加者]
新谷幸子(しんたに・ゆきこ)
福岡県出身。福岡県立美術館普及課 副長。平成13年高等学校美術教員として採用。現在は、県美普及課副長として、実行委員会形式の展覧会運営に従事している。趣味は旅行。
高橋大輔(たかはし・だいすけ)
神奈川県出身。福岡県立美術館普及課 主査。平成21年中学校美術教員として採用。普及課主査として、スクール・ミュージアム事業や貸館業務に従事している。趣味はDIY、釣り。
藤本真帆(ふじもと・まほ)
熊本県出身。新県立美術館建設室事業班 班長。平成24年7月福岡県立美術館技師(学芸員)として採用。新県立美術館建設室事業班班長として、事業計画や学芸業務全般の整備計画に従事している。最近の趣味はお茶を飲むこと。
茂泉千尋(もいずみ・ちひろ)
宮城県出身。新県立美術館建設室事業班 技術主査。令和7年新県立美術館建設室学芸員として採用。ラーニング、県民参画、アクセシビリティ、ユニバーサルミュージアムに関する整備等に従事している。趣味は旅行。
※役職等は取材日時点のものになります。

【取材日:2025年11月13日|聞き手:三好剛平(三声舎)】
——まずはお一人ずつの自己紹介と、これまで福岡県立美術館の「学び」や「教育」にどのように関わってこられたのかをお聞かせください。
藤本さん 新県立美術館建設室の藤本真帆です。県美の学芸員として10年ちょっと活動しています。そのうち数年は、新県立美術館建設室と県美の仕事を兼務しています。新人の頃は新谷副長のお世話になりながら、最初は普及課、その後に学芸課へと異動しました。県美の普及課は、いわゆる他館の教育普及係とは異なる部署で、普及課では県展等を担当しました。今回のテーマである「学び」や「教育」という点では、大きな美術館だと教育普及専門の学芸員と展覧会を企画する学芸員が分かれていたりもしますが、県美は所帯が小さいので大抵、学芸課の学芸員がラーニング的なプログラムと展覧会の準備の両方に関わります。展覧会も作るし、ワークショップも考えるし、ワークシートも作るし、学びのためのウェブサイトも考える。色々なことをやりました。

茂泉さん 茂泉千尋と申します。新県立美術館建設室のラーニング担当学芸員として採用され、令和7年4月から勤務しています。学生時代は日本とイギリスとアメリカの文化政策や教育活動を比較しながら、これからの美術館に求められる教育活動について学びました。卒業後は民間企業に10年ほど勤務し、企業の広報活動や文化事業、指定管理者制度に伴う公立の文化施設の企画運営などに携わりました。
その後、福岡への転居を機に大学院に入学し、美術館での教育活動や来館者の体験理解、インクルーシブデザインについて学びを深めました。卒業後は、福岡女子大学が主催する「障がい者とアート」をテーマとするアートマネジメント人材育成事業のコーディネーターや、久留米大学の学芸員養成課程(博物館経営論)などを担当しました。直近では九州国立博物館の展示課に約4年勤務し、教育普及活動や特別支援学校の対応、ユニバーサルミュージアムを目指したハンズオンプログラムや手話通訳付きツアーの実践に取り組んで参りました。

新谷さん 福岡県立美術館 普及課の新谷幸子と申します。私は元々高校の美術の先生ですので、福岡県立美術館には学校の教員という立場で関わっています。県美に勤務するのは二度目で、以前は社会教育課・生涯学習課で新県立美術館の将来構想班としても関わりました。一度目の美術館勤務後、芸術コースのある高校で美術の教員として働いた後、今回ひょんなことから再びこちらに勤めることになりました。前回は学校の子どもたち向けの業務を担当していたのですが、今回は新聞社と協力して開催するような特別展についての広報やイベント運営、ワークショップなどの業務を担当しています。

——現役の学校の先生が美術館に配属されているとは、驚きました。このような人事は、美術館では一般的なのでしょうか?
新谷さん あまり知られていないかもしれませんが、福岡県(教育委員会)では時々行われている人事です。県立美術館には県の教職員、博物館には社会(地歴公民)の教員、科学館には理科の教員といった具合で、それぞれ赴任することがあります。他の市町村では「ミュージアムティーチャー」と呼ばれているところもあります。
——そうなんですね。とはいえ生徒たちにものを教えるつもりで先生になったのに、人事異動で美術館の職員になってしまった、という事には、ご自身も驚かれたのではないですか?
新谷さん そうですね(笑)。ただ子どもたちもたくさん訪れる場所ですので、教師なりのアプローチの仕方を期待されて呼ばれたのだろうと理解しています。
高橋さん 福岡県立美術館 普及課の高橋大輔です。私も元々は中学校の美術科に教員として十数年勤めていたのですが、その後、新谷副長と同じく突然、県美の普及課へ赴任した人間です(笑)。今は小・中・高校生向けに、美術館や博物館、科学館へのバス代や入場料を補助して来館しやすくする「スクール・ミュージアム事業」の担当をしており、来館した子どもたちに美術の鑑賞や楽しみかたを伝える活動を行っています。その他、先生方のためのキャリアアップ講座等も行っています。

——先生方向けの講座では、具体的にはどんなことをお伝えになるのですか?
高橋さん 美術館を活用してどんな授業ができるのか、まずは先生方に体験してもらう講座です。そうやって先生方も巻き込みながら、受け身ではなく一緒に授業を作ってもらえるように提案していきます。その講座から生まれた題材をもとに実際のスクール・ミュージアム事業で実践もします。
例えば作品を見て「自分が作者だったらこの作品にどんな題名をつけるか?」「なぜそういう題名にしたのか?」を考えてもらい、小さなグループに分かれて発表する。そういう授業を実際にやってみると、生徒によっては「それはもう元の作品名よりも素敵だね」というようなものが生まれます。しかし、こういう課題が苦手な生徒が出てきたりもするので、そのさじ加減やバランスを、スクール・ミュージアム事業に参加する先生とは事前に打ち合わせをしながら一緒に考えるようなことをやっています。
——例に挙げてくださった授業は「対話型鑑賞」に分類されるものではないかと思いますが、対話型鑑賞ってファシリテートする側の振る舞いひとつで場がかなり変わってしまうものですよね。例えばファシリテーターが固定した答えを提示しちゃうと、美術の見方が「そこに正解があるもの」になってしまうことなど、その進行役にはかなり高いスキルが求められます。
先生方にそういったノウハウやテクニックをお伝えするにはかなり気を付けなければいけないポイントもありそうですが、いかがですか?
藤本さん 前提として、日本における「対話型鑑賞」って実はいろんなタイプ、いわば流派みたいなものがあって、学校の先生がやっている対話型鑑賞と、対話型鑑賞のオリジンであるVTS(Visual Thinking Strategies)ベースの対話型鑑賞はちょっと違うものです。それぞれに目的や対象もちょっと違う。だから、質問の件をどう話していったらよいのかな。難しいですね。

高橋さん 例えばスクール・ミュージアム事業で言えば、限られた2時間ぐらいのプログラムなので、その中に内容を詰め込みすぎると無理が出てきます。ですので、私の基本的な方向性としては、生徒たちはそれぞれ違う感じ方、考え方、答えを持っていて良いし、それをこちらが受け止めるという、受容の態度を重視しています。普段、学校では「正解・不正解」の中で過ごすことが多いだろうからこそ、美術館という特別な空間・機会の中で一番伝えたいのは、そういった日常とは少し異なる体験ではないかと考えています。
新谷さん すごく難しいのは、学校では図画工作や美術の授業を通して「何を身につけさせるか」という考え方が基本にあります。美術館はそうした想いに反して、「何を」という明確な目的が必ずしも必要ではなく、同時に自由な場でもあらねばならない。そこに葛藤が生まれます。ファシリテーションにも「正解」というものがないわけです。
例えば一枚の絵に対しても、すごく細かいところに目がいく子もいれば、ふわっと全体の感じを言葉にしてみる子もいる。そういった一つひとつをなるべく取りこぼさずにいられるように気をつけますし、先生方にお願いする時も、子どもたちが意見を出すときは無理に軌道修正をしないように、その時の流れで面白がってやってください、という気持ちでいます。

藤本さん 私はちょっと気になっているところがあります。確かに「決まった答えがない」ということは私も重要だと思っているのですが、だからと言って「なんでも良い」とすると、困ったことにもなるだろうなとも思うんです。見たものをそのまま自由に受け取って良いよと言うと、例えば作品の断片から自分に都合の良いようにだけ解釈することも止められなくなる。もちろん心の内で自由に思いを抱くことは良いのですが、社会と共有する時にはやはり「ここに何が描かれているのか?」、「なぜ自分はそう思うのか?」という対話はある程度ロジカルにできないといけないとも思う。
だからこそ「感受性豊か」に育む方向と、「きちんと解釈して言語化していく」方向、そのどちらのファシリテーションも必要なのだと思っています。作品を見てどんな気持ちにもなっても良いし、みんないろんな感じ方あるよね、ということも大切ですが、そこで止まるのももったいない。その場所から一歩進んで、「この作品を私たちと社会のなかで、どのように共有できるのか?」を対話しながら探っていくことがきっと重要なのだと思っています。
高橋さん そうですね。「自由に見てね」で終わってしまうと確かに「結局、どう見たらいいの?」という風にもなってしまいます。私も気を付けているのは、最初のオリエンテーションの時に「ちょっとアドバイスなんだけど…」というかたちで「立ち位置を意識してみて」と伝えています。
それは「作品の中に入り込んで、その絵の世界の登場人物になったつもりで」という見方にもなれば、「作品の前に立つというのは、作者と同じ距離、同じ立ち位置だよ。だからその作品に対して作者がどんな痕跡を残し、努力を積み重ねたのかもありありと見えてくるはず」という提案でもあります。あるいは学芸員になったつもりで「作者はどういう時代に生きて、何を伝えたかったんだろう? 何を表したかったんだろう? なぜこの作品は価値があると思われているんだろう?」というような見方でもあって、そういういくつかの「立ち位置」を試してみる提案です。せっかくどの作品も価値を認められて残されているものなので、それを楽しむきっかけやとっかかりを提案することも大切かなと思っています。

——今回のインタビューは元々「ラーニング」というキーワードから準備を始めていましたが、その表現を「学び」や「教育」という言葉に変更されたい、というご要望を事前にいただきました。これらの言葉やその意味合いの違いについて、まずお聞きしたいと思います。
藤本さん これは変更を希望した私からお話しさせていただきますね。まず「ラーニング」という言葉は美術館や博物館でも最近使われ始めた言葉で、もとは「教育普及」や「美術館教育」など「教育」という言葉のほうが一般的でした。でも「教育」という言葉には少し一方的なニュアンスがあり、参加者側の主体性を重視する意味から「ラーニング」という言葉に置き換えられるようになりました。
そういうことから、新県立美術館については意識的に「ラーニング」と、その機能をさらに拡張させて「エンゲージメント」という言葉も使い始めています。それは「今まで福岡県立美術館が大切にしてきたことを少し新しくしてみよう」という新県美の思いやビジョンからくるものです。だけど一方で、県美でこれまでやってきたことをすべて手放すわけでもありません。加えて今回のインタビューでは県美の〈これまで〉の活動から語っていく場になると思いましたので、「ラーニング」ではなく「学び」「教育」に換えてもらうよう相談させていただきました。

——ありがとうございます。それでは今改めて区別いただいた、福岡県立美術館ならではの「学び」や「教育」の活動とは、みなさんにとって具体的にどのようなものなのか、お聞かせいただけますか?
藤本さん 一つひとつのプログラムごとに、学芸員や学校の先生、その他いろんなバックボーンを持つ人たちが話し合い、試行錯誤を重ねてこられたことが「県美ならでは」の特徴をつくってきたのではないか、と思っています。もちろん独立した教育普及専門の部署を持っている美術館のプログラムは洗練されているし、予算や人員も確保されて、大きい規模の活動も可能かもしれません。一方で県美はそうした部署を持っていませんでしたが、だからこそいろんな人のいろんな考え方や見方、経験を詰め合わせたような、DIY的な試行錯誤が続けてこられたのではないかと思います。
福岡県美では、展覧会を企画するキュレーター自身がラーニングプログラムまで考えるのが通例になっています。だからこそある種の手作り感が出てしまうことはありますし、今後は予算をつけて委託先に依頼していくことも増えていくかもしれませんが、自分で最初から最後まで作ったことがあるという経験が、福岡県美の展覧会づくりや「学び」「教育」の活動を下支えするものになっているのではないかと思います。
——茂泉さんは今年から新しく県美で働かれているので、外からの目線で県美のオリジナリティを実感される場面も多いのではないかと思いますが、いかがですか?
茂泉さん 先日、一来館者として「ケンビ祭」に参加し、髙島野十郎の展覧会に合わせたろうそくを作るワークショップに参加しました。先に展覧会を鑑賞して自由に過ごした後にワークショップに参加したのですが、学芸員から髙島野十郎の「蝋燭」にまつわるエピソードを聞き、作品に込められた作家の思いを知ることができました。その後、ワークショップを終えて再び展覧会を見に行くと、参加していた子ども達が「あの絵に書かれたお花が気に入った」とか「絵のこの部分が良かったから、ろうそくの飾りをこの色にしたんだよ」といった具合に、自分の感想と作品との繋がりを見出していたんですね。その姿を見て、環境やツールを工夫することで、作品の見方や体験をより深めていけるのだと思いました。
また、そこで「髙島野十郎ミニガイドブック」もいただいたのですが、これは福岡県内5校の高校生たちがインターンシップの一環で、髙島野十郎の生涯や作品にまつわるエピソードなどを学び、完成させたものと伺いました。きっと高校生たちにとって、美術館の活動をはじめ、作家や作品を知るだけではなく、自分たちが感じた魅力を他者に伝えるツールを手掛けるという貴重な機会になったのかなと思います。私が参加したワークショップも含めて、丁寧に来館者との接点や機会を作ってこられた点は、福岡県立美術館ならではという印象を持ちました。

新谷さん そのミニガイドブックの制作は、高校生がインターンシップに来ていたときに、せっかく来てくれたのに、美術館で調べ学習を「やりました・終わりました」ではもったいないなと思ったのがきっかけでした。インターンシップの機会を通してお仕事をしていただくならば、本当に世に出るものを、そして高校生たちのモチベーションに繋がるものを、と思いました。そして、当館としてもみずみずしい感覚で新しいツールを作ってもらえることがありがたい部分もあって、生徒たちに挑戦していただきました。
藤本さんもお話しされていましたが、確かに県美の「学び」「教育」の特徴のひとつは、システマティックではない、手作り感にあると言えるのかもしれません。したいことをさせてもらえるし、冒険ができる。いろんな人とワイワイしながら考えて、イベントやツールを作る、といったことに比較的取り組みやすい環境だと思います。先ほどのミニガイドブックも、事務所にある普通のプリンターで刷って、切って、折って、みんなで完成させたものなんです。そういった取り組みやすさや巻き込みやすさというものがここの風土として長く息づいているんじゃないかな、と感じます。

高橋さん 私は学校の授業では「展覧会に連れてこられた子たち」をどのように巻き込んでいけるかをいつも真剣に考えています。例えば書の展覧会で、書に興味がない子をどうやって楽しませたらいいのかも、生徒たちの状況を踏まえながら学校の先生とアイデアを出し合い、手作り的に生み出していくような実践です。

藤本さん いま「連れてこられた子たち」の話で思い出したことがあって。以前、学校の授業で来た子たちと新谷さんが展示室でずっと世間話をしているのを目撃したことがあるんです。それは美術とは関係ない話だったけど、その子たちの人生にとっても大事な話。とても暖かい光景でした。その時に実感したのは、普段、美術館に来たことのない子たちにとっては、この空間で時間を過ごす、ただそれだけでも実は十分良い経験や学びになっているのかもしれない、ということでした。
ここにはいろんな背景の子たちがやってきてくれます。だからこそ、いま高橋さんがお話されたように、いろいろ工夫して面白く見てもらうことがひとつ。そして、もうひとつは一人ひとりの気持ちや状況をただ受け止めてあげられる場所になること。普段の生活の場ではないところにも自分を受け止めてもらえる場所があったのかと気づくことができれば、それだけでもすごく大切なことだと思うんですよね。私はもともと美術史ベースの学芸員なので、どうしても「鑑賞」や「研究」を足場にした学びを届けようとしてしまうのですが、学校対応をしていると、ミュージアムが人々にもたらすものの幅広さを実感します。
新谷さん スクール・ミュージアム事業で学校の先生から「この子たちのうち何名かは、今日来なかったら、多分一生美術館に行く機会がなかったと思う」と言われた時には、ちょっと考えるところがありました。もちろん、美術館は誰もが足を運びやすい場所であって欲しいけど、なかには一生に一回だけの思い出の美術館がこの県美になる人がいるかもしれないこと、そしてそんな体験でも彼らの人生の何かを変えるきっかけになるかもしれないこと。全員でなくとも、何百人のうちの一人の人生の何かを変えてしまうかもしれない。そういう場面に私たちは日々携わっているんだと再認識させられた思いでした。

高橋さん 授業で来た子たちにアンケートを取っても6~7割は「初めて来た」という回答なんですよね。その初めての体験の時に、どんなふうにこの美術館を記憶してもらえるかは、すごく大事なんだと思っています。アンケートで「思ったよりも良かった」とか「こんな体験ができるんだ」とちゃんと感想を伝えてくれる子たちがたくさんいて、そのときは担当冥利に尽きる思いですね。
藤本さん 私も好きだったアンケートがあって。「今後も自分一人では来ないと思う。でも今度連れてこられたら、きっと前よりはワクワクしながら来ると思う」って。正直な言葉で、良いですよね。大きな変化はないけど、ほんの少しだけ、ちょっとだけ、今までの世界がワクワクするものに変わる。こういった思いを大切にしていきたいと思っています。
——そういった経験のために、日々見えないところで小さな種を蒔き続けていらっしゃるのがみなさんなのだと、改めて伝わってきました。
藤本さん ですが、こうした手応えって、かたちでは示しづらいんですよね。「展覧会」はわかりやすいし、「展覧会の入場者数」もわかりやすい。だけどこういう「経験」や「思い」って数値化しにくいし、教育普及系の活動は意外と知られていない。知られなければ評価もされず、予算もつかない。そういった難しさのなかで、どのようにこの活動を続けていけるのか。日々知恵を絞り、考え続けています。
(後編へ続きます)